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4.論文、エッセー、その他

【1970年代】
「トインビー博士に聞く」『PHP』1973年10月号

「ローマクラブ創設者ペッチェイ博士に聞く」『PHP』1974年2月号
「在日外人記者の見る日本の政治」『PHP』1974年6月号
「私のトインビー発見−訪ねてきた青年」『現代とトインビー』No.31、1975年10月号
「日本には政治がない!?」『PHPインタナショナル』1976年春季号
「永井文部大臣に聞く−日本人と国際性」『PHPインタナショナル』1976年夏季号
「アメリカ社会から何を学ぶか−ロッキード事件から子供のしつけまで」『PHPインタナ
  ショナル』1976年夏季号
「日本人はパーティ下手か」<座談会司会>『The English Journal』1978年12月号
【1980年代】
「スピーカーズ・ビューロー開設−"Speaking of Japan"を創刊」『経済広報センターだよ
り』1980年11月号
「海外における広報活動の実態」『'81パブリシティ年鑑』サンケイマーケティング、1980年12月
「英文広報刊行物コンクール−世界に向けての顔と心」『経済広報センターだより』1981年1月号
「100対1の情報輸入過剰を解消せよ!−根強い日本誤解、偏見、批判をかわす道」『週刊ダイヤモンド』1981年2月7日号
「"Japan 1980"の教訓」『経済広報センターだより』1981年3月号
「アメリカ議会と法案審議のしくみ」『経済広報センターだより』1981年3月号
「スピーチ道」『Asahi Business』1981年5月2日
「トヨタへのアドバイス−氷河時代のマンモスにならないために」『トヨタ社内報』1981年8月号
「国際比較データ『JAPAN 1981』−国際化は相互理解の基盤づくりから」『週刊ダイヤモンド』1981年10月24日号
「"コミュニケーション"力」『通産省公報』1982年1月5日
「いま、日本企業は世界になにをどうアピールすべきか」<後藤光彌氏、杉田敏氏と鼎談>『Tradepia』1982年2月号
「貿易と海外広報」『日本貿易会月報』1982年3月号
「海外広報時代の幕あけ−日本人の真価が問われる時代に」『東洋経済統計月報』1982年4月号
「経済摩擦と海外広報」『PRSJ会報』(日本パブリックリレーションズ協会)1982年6月20日号
「日本人の常識−9つのウソと1つのホント−国際比較データが示すニッポンの実像」『週刊ダイヤモンド』1982年10月9日号
「海外広報の時代―"海外広報学"の提唱」『月刊ペン』1982年12月号
「第3回英文広報刊行物コンクールについて」『PR環境情報』電通PRセンター、1982年12月
「第3回英文広報刊行物コンクール−意思伝達の原点は手紙」『経済広報センターだより』1983年1月号
「孤立無援"ニッポン株式会社"国際化への錯覚−スピーカー型からコミュニケーター型へ転換せよ」『週刊ダイヤモンド』1983年1月1日号
「PRニュース200号記念−私の関心事あ・れ・こ・れ」『PRニュース』1983年1月1日号
「見直そう世界の中の日本−いま海外広報の時代」<毎日新聞創刊110周年記念特別座談会>『毎日新聞』1983年2月22日
「アメリカにおける"広報"の現状と日本企業の対応」『東洋経済統計月報』1983年3月号
「アメリカにおける"広報"の現状と日本企業の対応」『経済広報センターだより』1983年3月号
「企業の海外広報の留意点」『'83パブリシティ年鑑』サンケイマーケティング、1983年3月
「海外広報のあり方―アメリカにおける広報の現状と日本企業のあり方」<経済広報センター・シリーズNo.27>1983年3月
「日本の海外広報−何をどう知らせるか」<討論集会No.63>尾崎行雄記念財団、1983年3月
「貿易と海外広報」(再録)『日本貿易会月報』1983年7月臨時増刊号
「海外広報―この10年の回顧と展望」『企業環境』創立10周年記念特別号、財団法人国民経済研究協会、1983年9月
「いかにして知らせるか−情報化社会に求められる『広報』の水準」<竹村健一氏と対談>『月刊世相』1983年9月号
「日の丸を意識しないPRを!−最近の国際環境とこれからの広報活動」<座談会>『ブレーン』1983年9月号
「日米郵便事情」『経済広報センターだより』1984年2月号
「文化交流のこころ」『広告月報』1984年2月号
「日本の国際PR−8つの課題」『日経広告研究所報』1984年3月号
「米国の広報活動に学ぶ」『経営コンサルタント』1984年3月号
「アメリカ人の奉仕精神」『知識』1984年春季号
「第1回海外広報フォーラム−今度はトップに参加してほしい」『経済広報センターだより』1984年4月号
「日本外交に注文する−総理大臣の手紙」『世界の動き』1984年7月号
「もう一つの歴史教科書問題−"物づくりが上手な国民"だけでよいのか」『小学校時報』1984年8月号
「"もの""情報"のつぎは"人"の国際化だ」<長谷川慶太郎・白井健策氏と鼎談>『Business View』1984年9月号
「"国際対話の友"英文統計集−日本への誤解とく比較データ編纂」『日本経済新聞』1984年10月6日
「日本を10倍楽しむ英語の本2冊」『Next』1985年2月号
「国際化への忘れ物」『知識』1985年4月号
「第10回PR世界大会に参加して」『PRSJ会報』No.31、日本PR協会、1985年11月
「一通の手紙、一杯のコーヒー」『CUE』1986年5〜6月号
「時間とのつきあい方」『安田生命社報』1986年6月号
「問われる海外広報のあり方とその効果的実践論」『Global Age』1986年7月号
「米国で日本企業は多くの角度から監視、評価されている」『Media Info』1987年1〜2月号
「国際化は人づくりから−人事担当者に聞く企業留学の現状と展望」(パネル討論収録>『CROSS AND TALK』1987年2月号
「アメリカの企業広報」<3回連載>『経済広報センターだより』1987年3〜5月号
「経済摩擦で問われているのは日本人の生きざま」『Business Research』1987年4月号
「世界と共存共栄の理念確立を」<座談会>『経済広報センターだより』1987年6月号
「日本人に求められる国際感覚」『関西経協』1987年9月号
「企業のリスク・マネジメントと海外広報」『企業環境』1987年9月号、財団法人国民経済研究協会
「このままでは日系企業は危ない−米国地域社会の現状と問題」『総友』1989年1月号
「ワシントンで考えた日本の対米広報」『経済広報センターだより』1989年2月号

「CCなくして平安なし−徹底検証今なぜCCなのか?」『TOEIC FRIENDS』1989年4月号
「松下幸之助に学ぶ出向の心得」『実業の日本』1989年9月15日号
「座談会−トヨタにおける海外寄付活動」(富永素右トヨタ自動車海外広報部長、中村芳夫経団連国際経済部次長)『CBCCニュース』第1号、1989年10月
【1990〜94年】
「危険な曲がり角にきた日米関係」(本間長世・東大教授と対談)『国際経営フォーラム』 No.1、神奈川大学国際経営研究所、1990年

「寄付の心」ジャパンタイムズ出版PR誌『CUE』1990年5〜6月号
「アメリカの企業寄付」(社会福祉事業研究開発基金助成研究報告書)、1990年6月
「アメリカ社会の”三重苦”と企業市民の役割」『労働法学研究会報』第1827号、総合労働研究所、1991年5月
「環境ビジネスの台頭−企業と生活者の共存を探る」<福岡克也氏、北側一雄氏と鼎談>『公明』1991年7月号
「公益法人にとって広報とは」『公益法人』1991年8月号
「社会と共生を図る企業広報とは」『ぜんにっくう』1991年10月号、全日本空輸
「時代が企業市民への脱皮を求めている」『世論時報』1991年11月号
"The Japan-U.S. Balance of Communication," Jounal of Japanese Trade & Industry, November and December 1991, The Japan Economic Foundation
「テーマは地球環境、そして社会貢献」<座談会>『電通報』1992年1月
「アメリカ企業の栄光と苦悩−『よき企業市民』への条件」『ABLE』(北九州活性化協議会情報誌)1992年1月
「国際社会にどう参加すべきか」<福川伸次・神戸製鋼所副社長と対談>『Global Citizenship』1992年新春号、海外広報協会
「退職後の健康管理とボランティア活動」<高田和美・産業医科大学教授と対談>『How To 健康管理』1992年2月号
「アメリカ企業市民の栄光と苦悩−日本における5つの誤解を解く」『サリクレール』(サイギン総合研究所)、1992年2月号
「企業市民としての地域社会への貢献」<石田明社長との対談>『大日本スクリーン株主通信』1992年春号
「実り多かったカンザス大学研修−初の海外研修に定員3倍の応募」『宮陵』第41号、社団法人宮陵会、2002年3月
「『企業市民』を生み出すアメリカの土壌」『21世紀フォーラム』No.46(政策科学研究所)1992年12月号
「生涯青春講座・豊かなシニアライフ・フォーラム」<講演記録・全面広告>『日本経済新聞』1993年3月30日
「麻薬・犯罪・教育と戦うアメリカ企業の社会貢献」『就職解体新書』(学徒援護会)1993年
「企業市民の時代−新しい経営戦略としてのフィランソロピー」『こうぎょう』大阪工業協会、1993年5月号
「『環境問題』は、企業の手によってしか進められない」『プレジデント』1993年6月号
「『フィランソロピー』の表と裏」『世界と議会』1993年11月号、尾崎行雄記念財団
「ハイウエイと"養子縁組"し美化に励む」『産経新聞』1993年11月29日
「わたしの見たアメリカ企業」『ふれあい』1993年冬季号、納税協会連合会
「障害を持つアメリカ人法−エイズ感染者に対する差別も禁止」『経営フォーラム』第5号、神奈川大学国際経営研究所、1993年12月
「今こそ企業の社会的意義を問う」<泉麻人氏と対談>『ダイヤモンドジャーナル』1994年1月号
「企業の社会貢献」<4回連載>『まち・むら』1994年3月、あしたの日本を創る協会
「子供と高齢者を預かる米の企業」『産経新聞』1994年5月2日
「青少年とボランティア」<4回連載>『電通報』1994年6〜8月
「宗教とボランティア」<アルフォンス・デーケン上智大学教授・堀田力さわやか福祉推進センター代表と鼎談>『さぁ、言おう』1994年5月号、さわやか福祉推進センター
「揺れるボランティア評価」『悠』1994年6月号、ぎょうせい
「アメリカ企業の社会貢献活動」『Sunday Journal−ぐんまの総合情報誌』1994年6月19日号
「公益法人こそ魅力と活力の源泉」『公益法人』1994年8月号
「不況期に見習うべき米の制度」『産経新聞』1994年8月8日
「日本企業は『市民』となり得るのか?」『ESP』1994年9月号
「今なぜボランティアなのか−時代背景を考える」『学校運営研究』1994年9月号
「企業市民の時代のまちづくり」『平成5年度まちづくりゼミナール講義録』(埼玉総合研究機構)、1994年11月
「『コミュニケーション力』と『論理的な思考力』」『学問への誘い』1995年度版、学校法人神奈川大学広報委員会、1994年12月
【1995〜99年】
「企業フィランソロピーの真髄を探る」『月刊フィランソロピー』1995年1月号
「変わる企業の社会貢献とボランティア」<座談会司会>『電通報』1995年1月2日
「書評:小浜正幸著『よき企業市民への発進』」『産経新聞』1995年4月18日
「インディペンデント・セクター」『公益法人』1995年5月号
「米国フィランソロピーの現状とCBCCへの期待」『Stakeholders』1995年夏号
「成熟社会へのフィランソロピー」『経営と道徳』1996年2月号、モラロジー研究所
「2001年の企業広報に向けて」『企業広報』1996年4月号
「企業と地域社会のパートナーシップ」『企業環境』1996年4月号、国民経済研究協会
「『一所懸命』から『二所懸命』の時代」『月刊パンプキン』1996年10月号
「国際ボランティア貯金について」<インタビュー>『クローバー』1996年11月、国際ボランティア貯金普及協会
「21世紀の企業とフィランソロピー」<インタビュー>『信用金庫新聞』1997年1月1日号
「米国の企業は、高齢化・バリアフリーにどう対応しているか」『時代感触』(茨城県経営者協会)1997年3月
「現地社長の地域社会貢献−コミュニティ・リレーションズの進め方」『日外協Monthly』1997年4月号
「学校教育とボランティア」<インタビュー>『日本教育新聞』1997年6月28日
「地域の活性化とボランティア」『地方議会人』1997年8月号
「NPOは社会の魅力と活力の源泉」『Business Research』1997年11月号
「パネルディスカッション 21世紀型成功企業の実現に向けて」『企業環境』1998年4月号
「金融ビッグバンに信金はどう取り組む」(村本孜・成城大学教授と対談)『日本工業新聞』1998年6月24日
「従業員の権利は今」『Stakeholders』No.42、海外事業活動関連協議会機関誌1998年12月
「予知されていた阪神・淡路大震災」『えひめ雑誌』愛媛新聞社、1999年1月
「社会貢献活動の考え方と信用金庫−外国の事例を参考にしながら」『信用金庫』1999年2月号
「日本企業の不祥事と行動規範−"一流企業"と"一流社員"の落とし穴」『国際経営フォーラム』No.10、神奈川大学国際経営研究所、1999年3月
「教育者に求められる『未来』への洞察力」『神奈川大学教職課程通信』第16号、1999年3月
「ボランティアを当たり前とする社会が活力のある日本を創る」『ON THE LINE』(KDD株式会社広報室発行)、1999年4、5月号
「信用金庫の社会貢献への6つの視点−第2回信用金庫社会貢献賞の審査を終えて」『信用金庫』1999年7月号
【2000年代】
「日本型ボランティアと行政」『市政』(全国市長会)2000年2月号
「アンケート全般について学生の皆さんへ」神奈川大学経営学部編『異論・反論・サジェスチョン−経営学部関係教員から寄せられた感想や意見』2000年5月
「生涯にわたるボランティアの芽を育成」『大学とボランティア−スタッフのためのガイドブック』財団法人内外学生センター、2001年
「ワンポイントNPO講座−市民公益活動は『民主主義の学校』」『のたろん』横須賀市立市民活動サポートセンター、2001年1月4日
講演記録「21世紀を生きる勇気と知恵」『北斗−創立百周年記念号』No.47、愛媛県立松山北高等学校、2001年3月
「アメリカ企業の栄光と苦悩−『よき企業市民』への条件」『ABLE』財団法人北九州活性化協議会、2002年1月
「高田和美のニコニコトーク:退職後の健康管理とボランティア活動」『How to 健康管理』2002年2月号、社会保険法規研究会
「社会的有用労働への対応」『市民活動を支える社会的有用労働−有用労働に関する研究会報告書』財団法人勤労者リフレッシュ事業振興財団・勤労者ボランティアセンター、2002年3月
「『社会的有用労働』の自立への支援」『市民活動を支える社会的有用労働−有用労働に関する研究会報告書』財団法人勤労者リフレッシュ事業振興財団・勤労者ボランティアセンター、2002年3月
「企業文化、次世代への視線」『KAJIMA』2003年11月号、鹿島建設株式会社
「企業とフィランソロピー」『ANONA』2003年11月号、京都中央信用金庫
「本当の企業市民とは?」『生活起点』2004年1月号、セゾン総合研究所
「信用金庫の社会貢献活動に思う−”協働”の核となることを望む」『信用金庫』2004年7月号、全国信用金庫協会

「NPO最前線−行政任せの夢覚めよ」『神奈川新聞』2004年7月4日
「NPO最前線−勇気ある自治体切望」『神奈川新聞』2004年8月29日
「NPO最前線−源泉はNPOにあり−米の魅力と活力」『神奈川新聞』2004年10月24日
「NPO最前線−活動盛んな米国−奉仕と寄付が支えに」『神奈川新聞』2005年2月20日
「NPO最前線−耐震補強−地域ぐるみで推進を」『神奈川新聞』2005年4月10日
「アメリカのNPOの現状−法制度・税制・寄付文化」『非営利法人』2005年6月号、全国公益法人協会

「NPO最前線−七夕まつりに『タナー』をー新たな交流へ神大生企画」『神奈川新聞』2005年7月17日
「NPO最前線−マクナマラ氏に学ぶ−団塊世代への期待』2005年9月4日
「NPO最前線−寄付−学ぶ点多い米の姿勢』2005年10月19日
「NPO最前線−寺子屋に賭ける『夢』」『神奈川新聞』2005年12月11日
「21世紀を生きる勇気と知恵」『学士会報』2006年W、学士会
「提言 日本再生は地方議会の大改革から」『非営利法人』2006年12月号
「第4回企業フィランソロピー大賞選考を終えて」『月刊フィランソロピー』2007年4月号
「巻頭言:社会の魅力と活力の源泉」『公益法人』2007年8月号、財団法人公益法人協会
「耐震補強の推進はNPOの力で」『非営利法人』2007年9月号
「提言:市民協働と”二所懸命”の勧め」『非営利法人』2008年10月号
「地域活性化への”懸命”の取り組み」『第12回信用金庫社会貢献賞』2009年6月

「提言:マクナマラ氏の生き方に学べ」『非営利法人』2010年6月号
「『つなぐ力』で地域の連帯と活性化」『第13回信用金庫社会貢献賞』2010年6月

横浜開催に至る経緯とご協賛への感謝」『ねむの木の子どもたちとまり子美術展』ねむの木の子どもたちとまり子美術展実行委員会、2014年3月
「松下幸之助から学びて、いま思う日本の行く末」『信用金庫」2011年6月号

「第9回日本NPO学会賞受賞作品決定・総評」『日本NPO学会ニューズレター』2011年6月1日
「シリーズ・この国の未来:いつの時代も『変な人』が問題解決の突破口を開く」『先見経済』2011年6月1日号
「シリーズ信用金庫法制定60周年−『社会貢献』は人の為ならず」『信用金庫』2011年12月号
「日本の再生は信用金庫の『地域づくり』から」『信用金庫職員のための経済金融ガイド』2013年版、全国信用金庫協会
「第18回信用金庫社会貢献賞/社会貢献は人のため為らず−地域社会の”生き残り”をかけた取り組みを!」『信用金庫』2015年6月号
巻頭座談会/松岡紀雄・早瀬昇・高橋陽子「『企業市民』と『ボランティア』の姿をたどりながら、今後のフィランソロピーの在り方を考える」『Philanthropy』2016年6月号





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