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役職 神奈川大学名誉教授
(元神奈川大学経営学部教授・大学院経営学研究科教授)
略歴
1940年 | 9月 | 愛媛県松山市生まれ |
1945年 | 7月 | 4歳のとき、松山市内でB29の空襲に遭遇、 愛媛県伊予郡(現伊予市)に疎開 |
1947年 | 4月 | 伊予小学校入学 |
戦直後の民主主義、男女同権を 意識してでしょうか、見事なまでに男女が交互に並んで
います。松岡は、前から3列目、右から3人目です。
1948年 | 4月 | 愛媛大学教育学部付属小学校転校(愛媛県松山市) |
疎開先から松山市内に戻って来て、愛媛大学教育学部附属小学校に転入、2年次の
記念写真です。バラック建ての校舎で、教室の数も足らず二部授業”(曜日によっては
午後から授業)でした。松岡は、前から2列目の右端、直立不動です。
1953年 | 3月 | 同小学校卒業 |
1956年 | 3月 | 愛媛大学教育学部付属中学校卒業 |
1959年 | 3月 | 愛媛県立松山北高等学校卒業 |
1960年 | 4月 | 京都大学法学部入学――3年次より、故大隅健一郎教授(後に最高裁判所判事、文化勲章受章)のゼミで「会社法」を中心に勉強 |
1964年 | 3月 | 京都大学法学部卒業 |
1964年 | 4月 | 松下電器産業株式会社(現パナソニック株式会社)入社――コイル工場で製造実習、東京の世田谷区及び杉並区のナショナルショップ2店で販売実習、高槻市の松下電子工業株式会社の経理部や製品倉庫で実習 |
1965年 | 11月 | 松下電子工業株式会社経理部監査課配属 |
1966年 | 3月 | PHP研究所(京都市左京区・真々庵、後に京都駅前に本部ビル)に出向、以後11年間にわたり松下幸之助氏の薫陶を受ける。研究部から普及部企画課に転じ、日本語版「PHP」の普及活動を担当 |
1969年 | 5月 | 同特別普及部 |
1969年 | 5月 | 特別普及部東京分室長 |
1969年 | 9月 | 関東分室長 |
1970年 | 1月 | 国際部移籍(京都) |
1970年 | 3月 | PHP研究所初代ニューヨーク分室長 |
10月 | アメリカPHP研究所を創設、初代代表に就任 | |
1973年 | 2月 | イタリア、スイス、フランス、イギリスを経て帰国、ロンドンでは歴史学者アーノルド・J・トインビー教授の自宅を訪問、インタビュー |
1973年 | 10月 | 株式会社国際PHP研究所代表取締役兼英文国際版「PHP」編集長 |
1977年 | 5月 | 松下電器産業株式会社東京支社海外助成担当課長 |
1980年 | 2月 | 財団法人経済広報センター出向、主任研究員 |
1986年 | 2月 | 松下電器貿易株式会社総合企画室東京駐在 |
1987年 | 8月 | 神奈川大学国際経営研究所主任研究員・教授 |
1990年 | 10月 | 神奈川大学経営学部教授 |
1993年 | 4月 | 神奈川大学大学院経営学研究科教授 |
1993年 | 9月 | 学校法人神奈川大学評議員(至2002年9月) |
1997年 | 10月 | 神奈川大学学長補佐(至1999年6月) |
1998年 | 3月 | 神奈川大学自己点検・評価推進本部副本部長(同上) |
2011年 | 3月 | 神奈川大学定年退職 |
4月 | 神奈川大学名誉教授 |
受賞理由 ●松下電器産業(昭和45年にアメリカPHP研究所副社長就任、昭和48年から52年まで国際PHP研究所代表取締役・英文PHP編集長)では、日本の経済・社会・文化や日本人の思考を諸外国の人々にいかに理解させるかという課題に取り組み、海外における日本理解の促進に努めた。 ●(財)経済広報センター(昭和55年から62年)では、主任研究員として海外広報の実践と調査・研究に取り組むとともに、講演や論文発表、コンサルティング等を通じて海外広報の啓蒙と英文広報誌のレベル向上を中心にわが国企業広報の発展に努めた。 |